中東写真情報

記載が新しいものほど上になり、撮影時期・場所は順不同です。

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8.結婚式

写真はアラウィ派の結婚式。
イスラムの戒律解釈が緩やかな同派の結婚式では老若男女を問わずアラブダンスを踊りまくる。
普通夜9時頃始まって夜中の2時頃まで続く。日本の結婚式より盛り上がる。
日本と同じようにお祝いには現金を持参する。皆の前で個人の金額が発表される。従ってケチると恥をかく。

スンニ派の結婚式では出席者は男女別部屋にされる。
















ベリーダンスを連想させるような結構セクシーなダンスもある。
アラウィ派の若い女性達はムスリムとは思えない自由な服装をしている。





















プロのバンドがアラブ音楽をガンガン演奏する。






















ビールやアラック(ナツメヤシ又は葡萄を原料にした蒸留酒、水で割ると白濁する)も出され、飲みたい人は自由に飲める。
ムスリムの間でも、1400年も前のコーランの禁酒については現代においては多少解釈が変わってもしかり、との意見もわずかながらある。



<Bad News>
2008年10月26日イラク派遣の米軍ヘリコプターが越境してシリアの町アブカマルを攻撃し、女性・子供を含む一般人8人が死亡した。シリア政府は「アメリカのテロ」と激しく非難している。
このアブカマルはマリ遺跡のすぐ隣の町。














宴もたけなわになると水タバコ(アルギーレ)を回しのみする。






















お祝いの花輪もズラリ。





















7.マクハ

マクハはアラブの喫茶店のことで、客はシャイ(紅茶)、トルココーヒー、アルギーレ(水タバコ)を楽しむ。
バックギャモン(西洋すごろく)で遊んでいる人もいる。
女性は全く見かけない。



















中東のジュース売り。
夏は乾燥していて暑いのでよく売れる。

2枚の写真ともホムスにて。


















6.ホムス
夕暮れ時のホムスの街角。
シリア中部(ダマスカスの北160km、アレッポの南180km))にある第3の都市で人口は約60万人。

ホムスは気候は比較的穏やか、人々は親切、物価は安く、治安も極めて良好で住みやすい。
しかし失業率は高く、シリア全体の非公式値では30%を超えていると言われている。
それでも人々がおおらかなのは社会主義的無競争から来る鷹揚さのためか?社会保障のためか?
治安良好は必要悪秘密警察のおかげか?

自然も豊富。
春、秋にはアフリカとヨーロッパ間を渡るコウノトリが見られる。
コウノトリは群れで回りながら上昇気流に乗って飛び立つ。
春には同じくアフリカからヨーロッパへ渡るナイチンゲールの鳴き声が聞かれる。
ナイチンゲールは夜も綺麗な声で鳴くから姿は見えないがよく分かる。








ホムスの朝焼け。
ホムスの緯度は日本の大阪位。標高は450m。
4〜9月は雨は殆んど降らず、乾燥していて、真夏は暑い。
10〜3月は雨も降り、早く起きると毎日のように綺麗な朝焼けが見られ、曇りの日も多い。
真冬は氷も張り雪も降る。
ホムスから北のアレッポにかけては穀倉地帯で小麦等が栽培されている。

私はホムス市に約2年間住み、出張やら週末の旅行やらでほぼシリア全土を回った。
普通のシリア人よりはるかにシリアを行き尽くしている。

シリアの国土は日本の半分位で、東部の大部分はシリア砂漠。












5.アパメア
ハマの北西約50kmにあるアパメア(Apamea)遺跡。
セレウコス朝(BC305〜BC64)の軍事都市だった。
列柱通りは1.6kmにも及ぶ。

7世紀ササン朝ペルシャのホスロー2世により破壊された上、1152年の大地震で多くは倒壊した。
20世紀になってベルギーの支援により発掘・修復された。

シリアでは数百年から数千年間隔で地震があるらしい。
















コリント式の柱飾りには女性器がデフォルメされているのだとか(ガイド曰く)。
どれか分かりますか?





















こちらには男性器が。
「(俺のより)小せえナ」(同行者曰く)。





















由緒ある巨大遺跡なのに訪問者は少ないようだ。

修復の跡がよく分かる。




















すぐ近くにあるムディーク城跡。
住民が城跡に住みついている。




















4.ハマ
またシリアに戻って、写真は中部の町ハマの水車。
町を流れるオロンテス川にいくつもの水車がある。
レバノン山脈を源流とするオロンテス川はホムス、ハマを通って北上し、トルコのアンタキアを経て地中海に注ぐ。



<ハマ事件>
1982年ハマにおいて、スンニ派の支持を受けたイスラム同胞団(イスラム原理主義組織)とシリア政府とが対立し、動乱事件に発展した。
シリア政府は徹底的に弾圧・拷問を行い、一般市民も含め1万数千人が殺されたという。












写真はハマの町並み。

<シリアの体制>
基本的にバース党(アラブ復興社会党)の一党独裁体制で社会主義国。
最近は、自由経済の導入に積極的で、株式市場設立の動きもある。
また、複数政党を認める方向にもあるらしい。
イスラエルを国として認めておらず、イスラエルと対立するパレスチナのハマス(イスラム原理主義組織)やレバノンのヒズボラ(シーア派イスラム原理主義組織)を支援している。
アメリカとは国交はあるが、ブッシュ大統領から「テロ支援国家」と非難され経済制裁を課せられている。これに対しアサド大統領は「イスラエルのパレスチナ人殺害やレバノン侵攻こそテロ」と反発している。
秘密警察組織があり、治安維持を徹底している。このためテロ事件は極めて少ない。
宗教は、イスラム86%(スンニ72%、アラウィ12%)、キリスト10%、等。
1920年フランスの委任統治領となり、フランスの政策により少数派のアラウィ派(シーア派の一分派)が政府の実権を握り、1946年完全独立後現在も踏襲されている。
少数派が実権を握っていることへの不満もあるだろうから、現在の平穏が将来崩れる可能性はなきにしもあらずと思われる。
アラウィ派はキリスト教の影響もありイスラムの戒律解釈が緩やかで、女性はヒジャーブ(イスラムのスカーフ)を被らない。若い女性はジーンズ、Tシャツも多い。
イラン・イラク戦争や湾岸戦争では反イラクの立場を取り、イラクとは国交は断絶されていたが、2006年秋回復された。






3.タージ・マハル
世界一美しい墓と言われるタージ・マハル。
建物は完璧なシンメトリーでイスラム建築の最高傑作と言われている。
ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルの死を悼み、イスラム圏から白大理石と職人を集めて、22年の歳月をかけて1653年完成させた。
高さが67mあり、写真で見るより大きく美しい。
世界遺産。
今まで見た世界文化遺産の中では最高。

デリーの南約200kmのアーグラーにある。
ムムターズ・マハル(ペルシャ系)は14人の子をもうけたが、最後の女児の出産がもとで36歳で死去した。



拡大写真










10月末というのに乾燥していて日射が強く強烈な暑さだった。






















タージ・マハルへの門。






















しかしシャー・ジャハーンは、1658年継承争いに勝った三男にここアーグラー城に幽閉され、1666年74歳で亡くなった。
遺体はタージ・マハルの愛妃の隣に葬られた。
アーグラー城も世界遺産。

写真のようにアーグラー城からタージ・マハルが見える。

















アーグラー城内。






















アーグラーにあるイティマド・ウッダウラー廟。
ムガール帝国第4代皇帝シャハンギールの妃ヌール・ジャハーン(ペルシャ出身)が父母のために建てた廟。
白大理石で造られ、後のタージ・マハルに影響を与えた。



















聖獣である牛は食されはしないが、使役はされる。






















アーグラー巡りで丸1日チャーターしたリクシャーの運ちゃんは私と同い歳だった。





















2.デリー
ニューデリーのメイン・バザール通り。
混沌の中にも人々のエネルギーを感じる。
街にはヒンドゥー教の聖なる動物 牛も見かける。野良犬ならぬ野良牛らしい。
勿論他にも、大道芸人、物乞い、ペテン師、スリ、仙人、etc.何でもござれ状態。
宗教もインド全体で、ヒンドゥー(80.5%)、イスラム(13.4%)、キリスト(2.3%)、シーク(1.9%)、仏教(0.8%)、ジャイナ(0.5%)、etc.と多彩。

写真に写っている三輪自転車のタクシー リクシャーや、小型三輪自動車のタクシー オートリクシャーが移動に便利。
リクシャーは日本語の力車(人力車)からきている。














リクシャー。






















「俺は聖獣だ、何か文句あるのか?」
「勿論ありません」。





















昼寝中と思われるこの人はひょっとして仙人かも。






















象の観光タクシーもある。

Incredible India !




















観光客は乗るのには一苦労。





















デリーのコブラ使い。

市内観光バスから降りると、道端にコブラ使いがいたので、断ってこの写真1枚を撮った。
「サンキュー」と言ってチップ$1を出すと、「$30だ!」と言われた。
「冗談はよせ!」と言うと、「コブラ使いは危険な商売だし、コブラは餌代も高いからチップも高い」と反論された。
人のいい私はなるほどと思ったが、$30は高過ぎるので$1を放り投げて去った。
写真撮影でチップ$1は暗黙の相場だろう。

インドは観光客をカモにするペテン師商売が実に多い。
「日本語を勉強している学生です」と言って話かけてきて、土産物屋へ案内されるとか、ニセ観光局へ連れ込まれて、高いチケットを買わされるとか、ガイドブックに注意例としてくどい程載っている。
私がニューデリー駅近くを歩いていると、”日本語勉強学生”が何人も話しかけてきた。
インドではそういう連中との駆け引きも旅の楽しみなのかもしれない。

ガイドブックによると、ペテン師達曰く「日本人が一番騙し易く、イスラエル人が一番難しい」とのこと。
ということは平和ボケの国民程騙し易いということか?






物価は世界有数の安さ(クオリティーを問わなければ)。






















市内観光ツアーでは勿論ヒンドゥー寺院も見学できる。






















ツアー参加の裕福そうなインド人ファミリー。
やっぱりカースト、貧富の差が厳然として存在するようだ。





















インド門(左)。
イギリス統治時代第一次世界大戦のインド人兵士戦死者慰霊碑。

植民地インドはイギリスの戦争に協力したが、独立は果たせなかった。



















郊外にある建国の父ガンジーの墓。






















暑いからジュースがうまい。






















インドのファストフード ドライカレーとナン。






















元宗主国英国のバイクメーカーロイヤルエンフィールド社はインドに移転し製造している。






















同様に英国起源のアンバサダー。
ブリティッシュなデザインがインドに溶け込んでいる。




















1.インドのイスラム

インドにおけるイスラムへの興味のあまり、2006年10月日本への一時帰国の帰路インドに立寄った。

写真はクトゥブ・ミーナール。
13世紀トルコ系イスラム奴隷王朝のスルタン クトゥブウッディーンがヒンドゥー教徒に対する勝利を記念して建てた塔。
デリー郊外にある。
塔の外壁にはアラビア文字でコーランが刻まれている。
以前は高さ100mあったが、飛行機がぶつかって現在は72.5m。
世界遺産。



















イスラムのクトゥブ・ミーナールには被征服ヒンドゥー寺院の柱が転用されているのだそうだ。






















女子高生が遠足に来ていた。
(クトゥブ・ミーナール)




















フマユーン廟。
ムガール帝国第2代皇帝フマユーンの廟。
その妃が1565年にデリーに建造した。
世界遺産。

ムガールはモンゴルが訛った語。
ムガール帝国(1526〜)始祖バーブルはトルコ系イスラム君主であるが、中央アジア、アフガニスタン、イランを支配したティムール帝国(1370〜1507)の末期の王子であった。
ティムール帝国の創始者ティムールはチンギス・ハーンの子孫との説もあり、イスラム帝国建設を理想とした。
従ってムガール帝国の支配層にはモンゴル系の人々も多くいた。
インド人にとってはいずれも侵略外国人。

ムガール帝国は盛衰を繰り返して、1857年セポイの反乱(インド人のイギリス支配に対する反乱)後、イギリスによって滅亡された。










フマユーン廟内。






















ラール・キラー。
ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンによって、1639〜1648年にデリーに築かれた赤い砂岩の巨大な城。
ラール・キラーは赤い砦の意。




















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