
記載が新しいものほど上になり、撮影時期・場所は順不同です。
17.A letter from Syria ('26. 1. 2)
シリアの友人から新年挨拶の返信(以下、名前は削除)
「共通の知人が殺された」とのショッキングな内容だった。(合掌)
Dear Sekiguchi san
Thank you very much for your massage .
I am relieved
to know that you are doing well and ready to work in the vineyard.
I hope for you and your family new year full of excellent health and
happiness.
The situation
in Syria is not good. Even now, a full year after the fall of the previous
regime, and no legitimate elections have been held, and an extremist
group monopolizes power.
In addition,
the security situation is extremely bad, with daily acts of violence and
killings perpetrated by extremist groups against religious minorities. The
current government is not conducting any serious investigations to identify and
punish the perpetrators.
Do you remember
our friend○?He was killed on his way to work, and no investigation has yet been
launched to identify his killer.
Because of this
violence and chaos, Syria will be threatened with partition in the near future.
My family and I
are fine so far, but danger is always around us.
Best Regard
16.アレッポ石鹸


2025年2月アレッポ石鹸を売っていたので購入した。
「シリア内戦の混乱のため、トルコで製造したもの」、との説明がある。
この石鹸にはオリーブオイルの他ローレルオイルも配合されている高級石鹸だ。
15.シリアのアサド政権崩壊
2024.12.8 独裁アサド政権が反体制派による首都ダマスカス制圧によりあっけなく崩壊した。
私のシリアの友人の多くは電力省の公務員であり、政権側のイスラム教シーア派の一派アラウィ派であるので、安否を訊ねるe-mailを送ったところ、1週間程して返事があった。
無事とのことであるが、電力事情が悪くe-mail返信が遅れたとのこと。今後イスラム過激派が政権の中枢となり自由がなくなる可能性もあることを恐れ、イスラエルがドサクサに紛れシリアの要衝を空爆している事に憤慨していた。
私は少数派であるアラウィ派への復讐が起きない事と、シリアのあらゆる宗派が調和して民主的なを国を作る事を祈るしかない。
14.喜捨3
シリアの”リューマチ”の友人からまたまた喜捨のお願いが来た。
きりがないので、私はもう絶対しないと決めていたが、ふと思いつき、シリア名産の知る人ぞ知るアレッポ石鹸24個(日本で輸入関税の掛からない上限)を送ってもらうことを条件に、WU経由で4万円を送金した。(2023年11月14日)
アレッポ石鹸は現地では安いものだから船便コスト込みで1万円くらいだろうと予想した。
友人も喜んで早速手配してくれたのだが、「郵便局が日本への国際小包便を受付ない」とのことだった。
ネットで調べると同様のことであり、日本の郵便局に訊ねても同様だった。コロナ騒動以降、両国間の国際小包便サービスは停止している。クッソー・・・。事前リサーチが足りなかった。
先方は買った証拠にmessengerで写真を送ってきているのに。
サービスが再開したら送ってもらうことにした。

オリーブオイルと苛性ソーダだけで作られるアレッポ石鹸
昔の原稿が出て来たので載せます。(2005年4月頃作成、2023年12月2日記載)
なお、この話はこのHPに分けて既に掲載してあります。
第1話:秘密警察との遭遇

(カシオン山)
世界遺産でもある世界最古の都市ダマスカスに到着して先ず驚いたのはカシオン山の異様であった。草木なく地肌もあらわに、中腹まで民家が密集している光景は、極めてエキゾチックであった。カシオン山は旧約聖書にも登場する山とか。そこで早速、最初の週末、憧れのカシオン山の写真を撮りに出かけた。近づく程やっぱり異様である。途中、高級住宅街らしき緑あふれる一角があった。山とのコントラストが素晴らしく、カメラを構えてシャッターを切った。すると何処からか黒服の若者がやって来て、シャッターを押すジェスチャーをする。「山と一緒に写真を撮ってあげるよ」との意味に解した私は、人物写真に興味はないので、丁寧にお断りした。でもどういう訳か若者は非常にしつこい。「チンピラかあ」と思った私は、その場を立ち去ろうとした。すると何と、若者は黒服をまくって自動小銃をちらつかせたのだった。「ヒヤー、秘密警察(SP)だ!」と直感した私は、訳が分からないまま、「来たばかりなのに逮捕かよ!」と、中東の物凄さを思い知った。若者SPは携帯電話を取り出し、上司の指示を仰いでいるようであった。やっと私は「この辺りは写真撮影が禁止されているのだな」と分かりだした。そう言えばガイドブックに、軍事施設や女性の写真は撮ってはいけない、ということが書いてあったことを思い出した。「何処が軍事施設だろう?」と思いながら、私はSPの上官から上官へとたらい回しにされ、英語の分かる責任者から、「大使館街で写真を撮ってはいけない」ことを聞かされた。該当デジカメ写真は消去させられた。拘束は約1時間程であった。政治体制の異なる日本との違いを痛感させられた。まあ、SPたちは誰も高圧的ではなかったので、恐怖感はなく、「治安維持上ここでは必要組織なのかな」と思った。事実、シリアの治安が東京よりもいいのは彼らSPのお陰によるものでもあろう。
第2話:ラクダは楽だ

(パルミラ塔墓)
2週目の週末は、シルクロードのオアシス都市遺跡として名高いパルミラへ出かけた。イラク国境方面行き長距離バスで出かけた。隣に座ったシリア人が話しかけてくるのだが、アラビア語だから残念ながら何を言っているのか分からず、私がパルミラへ行くことだけは分かってもらえた。世界遺産パルミラはシリア人の誇りである。意外にも、パルミラに着いて満員バスから降りたのは私の他には1人だけだった。早速、観光業者がやって来て、「25ドルでランチ付のツアーに参加しないか」との勧誘。見れば遺跡は遠くにあるので、そのツアーに参加した。参加者は私1人であり、ミニバンで山の上のアラブ砦や古代のお墓等、あちこち案内された。パルミラは広大な遺跡である。列柱遺跡内には車は入れないので、「1人で3時間遊んでくれ」と言われ、ミニバンから降ろされた。すると、ラクダ引きの若者がやって来て、日本人と見るや、片言の日本語で「ラクダは楽だ」と言ってラクダツアーを勧誘した。なるほどとキャッチフレーズに感心はしたが、お断りした。すると、「ラクダに乗って写真を撮らないか?タダでいいよ」と言われた。タダでは悪いので後でそれなりの謝礼をするつもりで、ラクダに乗せてもらった。乗ってみると、思ったよりかなり高く、景色も気分もよかった。すると、「向こうの遺跡があるところでまで行って遺跡も入れて撮ろう」との提案。私もグッドアイデアと思い、同意した。写真を撮ってもらってからもラクダは私を乗せて歩き続けた。ラクダ引きの若者は英語が達者でガイドをし始めた。歴史知識が非常に豊富で、インテリジェンスの高さに感心した。「少しツアー代金も払ってあげなければ悪いな」と思った私は、ラクダの若者に「タダツアーは悪いからここで降ろしてくれ」と言った。“写真代”と一緒にお礼として5ドルを渡そうとした私に、若者は「100ドルだ」と言った。私は余りの驚きに思わず「エー、ふざけるな、タダと言っただろう!」と言った。「タダは写真だけだ!」と言い返された。「そうか」と思ったが、ここで納得する訳にはいかない。料金でもめていると、ラクダ引きの仲間がラクダと伴に集まってきた。周りに観光客は私1人である。というのは、パルミラを訪れる観光客は大型観光バスを利用するのが主なようで、観光バスが移動すると観光客はいなくなる。ラクダ引きの仲間は異口同音に「100ドルだ」と言った。10分程すったもんだの挙句、私は一方的に24ドルに決定した。というのは、あとは100ドル紙幣数枚とシリア紙幣しか持っていなかったからである。100ドル紙幣を渡せばお釣りは帰って来ないのは明らかだった。元ビジネスマンの私ではあるが、ビジネスの常識、事前確認を怠ったことは迂闊だった。このような料金は、事前交渉次第でかなり幅があるのが常なのは分かっていたのだが・・・。徒歩での帰り道、例のラクダ引きの若者と出くわした。お互い旧友のように笑って挨拶を交わした。
第3話:美女のホスピタリティー
ある週末、ダマスカスからシリア第3の都市ホムスへ家探しに出かけた。また長距離バスを利用した。バスターミナルで切符を買ってから、たくさんあるバスの内、アハリーエ社のバスを探して乗り込んだ。アハリーエは全て北行きで、ホムスを通るものと思い込んでいた。運転手に切符を見せると、「このバスではない、ホムス行きは“何分後”なので、それに乗れ」という意味らしいことをアラビア語で言われた。“何分後”なのか、運転手に四苦八苦して確認していると、列の後ろのシリア人何人かから「15分後」「50分後」との英語での助けがあった。しかし、どちらかは英訳を間違えている訳である。切符に出発時刻が書いてあるのかないのか、乗り場番号が書いてあるのかないのか、アラビア語だからさっぱり分からない。そこで別のアハリーエのバスを探しに行った。しかしどうしても見つからない。まだ来ていないらしかった。すると、イスラムの白いヒジャーブ(スカーフ)をかぶった学生と思われる美女が、私に話しかけてきた。私は見知らぬ若い女性から話しかけられた経験は、日本でも何処でもない。聞くと、「さっきの英語の間違いは済みません」と言い、私を正しいバス乗り場へ案内してくれた。彼女は自分の間違いに気づき、外国人のため、わざわざバスから降りて私を探してくれたのである。更に、「自分は英語を勉強している」と言い、「何処から来た?」とか「ホムスへ何しに行くのか?」とか「シリアは好きか?」とか興味深そうに聞いてきた。「私は日本から来て、暫くホムスで仕事をするため、家を探しに行く」こと等を説明した。シリア人は日本に好意的なようで会話が弾んだ。古代から文明、民族、宗教が興亡を繰り返したシリアは、人々は混血も進んでいるようで、彼女のような美人が非常に多い。バスの時間になったので、彼女は私に、「グッドラックインホムス」と言って乗り込んだ。何と清々しいことか。“男女席を同じうせず”のイスラムの国で、若い女性から受ける親切は格別であった。その日1日中幸せな気分に包まれたオッサンだった。

(ホムスのモスク)
(注:蛇足ながら、タイトルのオッサンバッドはシンドバッドに引っ掛けてあります。アフワン)
12.喜捨2
過日、シリアの友人から次のメッセージがFBメッセンジャーで届いたので、今日(2023.4.6)またWU経由で3万円を喜捨した。
彼はリューマチだとか。
シリアでは停電が日常化している、とのこと。


WUの扱い店(甲府)

内部で東南アジア系の食品を売っているが、WU送入金がメイン業務みたい。

近所にはフィリピン系のパブがある。
昔、そういう所に行ったなー。
11.トルコ・シリア地震
2023年2月6日トルコの南部シリア国境付近で起きた大地震から1週間が経過し、ニュースによると死者が両国合わせて35,000人に達したという。
私が今でもe-mailやFBでやり取りしているシリア人友人3人(中部のHomsに居住)に安否を尋ねたところ、本人や家族に被災はなかったが、「北西部では相当な被害が出ている」とのこと。その地域は反政府勢力(スンニ派)が依然として掌握している地域で、支援も滞っているようだ。
私はシリア居住中にビル建築現場を目にすることがあったが、耐震基準が素人目にも甘く、「問題だな」と思ったものだった。
10.アカバマラソン記事
2008年12月5日にアカバマラソンに参加した事を『JICAヨルダン事務所通信』に投稿した記事が見つかったので、スキャンして以下に載せました。(2022年11月1日)

当HP上の記事

9.喜捨
2021年9月、フェイスブックのmessengerを使ってシリアの友人からメールが届いた。
彼はシリアの電力省電力研修所勤務の国家公務員で、気さくな性格な好人物だ。2005〜2007年当時シリアに途上国支援ODAで滞在していた私達日本人(4人)は彼の結婚式にも招待された。
彼は自分達家族の窮状を訴え、「昨今の情勢から給料が十分ではなく、食料購入にも窮している」、と言い、「お金を送って欲しい」、との要請だった。
ムスリムはコーランの教えから、助け合いの気持ちが強く、故に、持てる者が持たざる者に恵み(喜捨)を施すのは当たり前だと思っている。
Western Union(WU)という国際送金システムを利用したことのある私は、それを使って3万円を送って上げようと思った。
私の記憶では、シリアの1人当たりGDPは日本の十分の一で物価は五分の一位だから、それでマアマアの支援になるハズだと思った。
私がWUの日本店舗で円送金手続きをすれば、彼は即シリアの店舗で規定の為替レートによりシリア通貨をゲットできる。
私は10月甲府のWU代理店からシリアに送金し、そのことをmessengerで彼にメールした。
彼は自分のIDと私が知らせた送金番号でその金を入金できる。
ところが「Thank you」 の返信がいつまで経ってもない。
「俺は詐欺にあったのか!」との疑念が湧いてきた。
彼に確認のメールをしたところ、「今シリアのWUにトラブルが発生し、未入金」、とのことだった。
WUで送金できない国は北朝鮮他限られていて、シリアは問題無しの国であることは事前確認は当然しておいたのだが・・・
1週間程後、彼からメールがあり、「今日、やっとのことで入金できた。本当にありがとう。子供達にもMasanori(私)のことを話し、家族でお祈りした。このことは皆一生忘れない」、との拙い英語だが大層な感謝の言葉だった。
私は、「助けになれて良かった」、と返した。
極めてプライベートな国際協力だった。
彼の結婚式の動画は当HPのこのサブぺージ下記 7.シリアの結婚式 にアップしています。
8.シリアのクリスマス

シリア人の友人と年賀e-mailを毎年やり取りしているが、今年(2019年)のメールには昨年のクリスマスの写真が添付されていた。
「ホムスとダマスカスの写真」、とコメントされていた。

「セキュリティーは大幅に改善され、東部と南部の一部地域を除いて生活はノーマルに戻っている。」

「しかし破壊の跡は凄まじく、再建には長い時間が必要」
とのこと。

写真は全て何事もなかったような、シリアのクリスマスの様子が写っている。

シリアには一定のクリスチャンがいて、クリスマスは祝われ、クリスマスセールもある。

友人はアラウィ派のムスリムだが、戒律が比較的緩やかで、クリスマスも祝う。
日本人のクリスマス観によく似ているような気がする。

シリアが完全平和を取り戻し、復旧が早く進みますように!
7.シリアの結婚式
シリアのホムスでの結婚式の動画が見つかったのでYouTubeにアップしました。 → シリアの結婚式
これはシリアの友人の結婚式に、同市で途上国支援活動をしていた我々日本人数人が招待され、私が撮影したものです。(2006年2月)
このイスラム教シーア派系アラウィ派の結婚式は、老若男女一緒の驚く程自由なもので感動しました。 → 過去記事
なお、当ホームページのサーバーであるジオシティーズが無料ホームページサービスを2019年3月終了するので、有料のロリポップにサーバーを変更しました。
従って当ホームページのURLも変更になった訳です。
ついでに当ホームページを古いPCから新しいPCに引越ししました。
これらの作業は複雑なため、専門家のアドバイスを頂きました。(2019年1月18日)
6.シリア会(2)

2016年6月11日東京で開催されたシリア会に出席。
毎年開催されているものの私は3年振りだった。
JICA関係者からシリア紛争の経緯と現状が解説された。
「国内避難民も合わせると国民の半数が難民となっている」、とのこと。
出席者から難民を殆んど受け入れない日本の方針について疑問を呈する意見もあった。
残念ながら、日本は”普通の先進国”には程遠い。

発展途上国支援でシリアで活動したこのシリア会の会員は約60名。
今回は17名が出席。
私は幹事(持回り)をやらなければいけないのだが、この時期はブドウ栽培が超繁忙のため、”泣き”を入れて免除された。(普通ではないナ、スミマセン
(´Д` ))
5.シリアドキュメンタリー映画上映会

2016年2月27日、大東文化大学(東京)において、”アラブの春”に端を発するシリア内戦のドキュメンタリー映画 『それでも僕は帰る』 の上映会が開催された。
ヒョンなことから私にも”案内”が届き、出席した。
上映前にこの催しの趣旨説明が主催者(NPO他)により行われた。
私の当HP 『中東写真情報』 のホムスの写真が、内戦前の貴重な様子ということで、スライドで紹介されていた。(事前了解済)

映画はシリアホムスでの激しい内戦の様子が、始めから収録されたものであった。
主催者が、「シリア・ホムス・写真」 で検索すると私のHPが出てきて、「使用したい」旨の連絡が来たのだった。
このような私のHPの写真使用要請は時々ある。
映画は自由シリア(反政府)側のリーダーである若者の観点から記録され、デモ参加から内戦に発展する経過を描いたドキュメンタリーの貴重なものだった。
デモの熱気から凄惨な内戦の状況までが、若者の心情変化とともにつぶさに分かり、ホムスに2年間暮らした私にとって、非常に興味深かった。

映像にたまたま登場したこの建物は、正に私が住んでいたアパートの隣のビルのような気がする。
(この建物の後ろのビルの3階に私は住んでいた)
ヤッパリ付近はこんなになってしまっていたんだ。
私の心痛は更に深まった。

映画後のトークショーには、シリアのベドウィンを写真に収めているプロの女性写真家(2日前NHKの『あさイチ』にシリア紹介で出演していたのをタマタマ見かけた)と、青年海外協力隊としてシリアで活動していた若者が出ていた。
彼はホムスの直ぐ北、ハマで活動して、期間が私とダブってはいないが、話してみると、知っているホムスの隊員の名前がいくつか出てきて懐かしかった。

NPO法人(複数)からプレゼンもなされ、シリアへの寄付呼びかけがあった。

最後まで残った出席者でパチリ。
会場柄か若者が多く、「シリアを知ろう」という意識が強く感じられ嬉しかった。
4.シリアの今
シリア人の友人からメールで届いた写真を以下紹介します。
2015年1月7日ダマスカスは大雪だったらしい。
ホムスでは友人の子供達が通う小学校も襲撃され何人かの子供達が亡くなったという。
メールに添付されたシリア内戦の現状:Letter from Syria.pdf へのリンク
これは政府側(友人)の観点から述べられている。
”シリアの春”勃発から4年になり、戦況分析は日本のニュースと大まか同じではあるが、シリア陸軍・空軍が健闘していること、自由シリア軍を含む反政府側の目的は民主化などではなく、その背景には地中海東部の中東資源を巡り地勢上重要なシリアでの米国・ロシア・イスラム過激派の権益確保の争いである、と言っている。

これだけ積もる雪はダマスカスでは珍しい。

写真の様子では極めて平穏に見える。
ダマスカスは政府軍掌握地域が多いのでそこは平静なのだろう。

以下は”シリアの春”(2011年4月)以降シリアから送られてきた写真。
ホムスの破壊されたビル。

”シリアの春”以前は治安もよく平和だった。
この近代的商業ビルは私がホムスに滞在していた2005年頃完成した。

この写真は完成・開業当初私が撮ったもの。
ビルはシティーセンターと呼ばれていた。

私がよく知るホムスがこんなになってしまったとは・・・

こちらはアレッポ。
世界遺産のスークもこんなに破壊されてしまったのか・・・

これもアレッポか。
イスラム国(ISIL=ISIS)が台頭し支配地域では捕らえられた政府軍兵士の公開処刑が行われ、斬首された頭部は暫く晒されるらしい。(この写真には8首写っている)
友人が送ってくれたこういった写真は現地のインターネットに流通したものなのだろうが、あまりにも酷い写真なので私が加工した。
私がヨルダンにいた頃、イラクでの斬首動画を目にすることもあった。
女性の首を切って本人の腹の上に載せた。
日本でもそういう動画を取り込んで公開しているHPもある。(無修正で載せているので残酷性にはご注意ください)
(一神教の)神の名の下にこういう残酷がなされていいのか・・・
ムハンマドが1,400年後の現代に生きていたらこのシリア・イラク情勢を見て何と言うだろうか・・・

ISILでは厳格なイスラム法(コーラン、シャリーアの厳格な解釈)に基づき女性の権利は大幅に制限されるらしい。
法に抵触すると厳しく罰せられるらしい。
この写真も上記HPにも載っている。(コピーはできない)

シリアの内戦が早く止んで欲しい。
せめて”シリアの春”以前の状態に。
3.シリア会

2013年8月17日 「シリア会」が東京で開催され、私も出席した。
この会はある時期シリアに駐在していた日本人の懇親会である。
今回は同時期駐在していた、元駐シリア日本大使が「シリアの現状」について講演された。
シリアの内戦は泥沼膠着状態にはあるが、レバノンのヒズボラが政府側として参戦し、政府側の攻勢がやや強い。
自由シリア(反政府)側にはアルカイダ集団も跋扈し始めていることから、自由シリア側を支援する欧米には躊躇もあり、落しどころを模索し始めているようである。
和平は到来するのだろうか?
只々それを願うばかりである。
2.シリアの春

2013年3月31日 「私が体感したシリアの春」の報告会が東京で開催され、現地の現況をよく知る日本人ジャーナリスト、シリアの大学助教授等からの報告があった。
ビデオにより報告された内戦地域の人々の過酷な状況は、”春(民主的政権樹立)”とは程遠い悲惨な様子だった。
現在までに死者7万人、難民200万人(国内難民含む)に上っているという。
アサド大統領政府側、自由シリア側どちらが勝つにせよ対立は強烈な遺恨となって長く残ってしまうことであろう。

かつてのアレッポの公園広場の様子。
(以下の写真も2005〜2007年私が撮ったもの)
北部の世界遺産都市アレッポは、現在自由シリア側がほぼ掌握しているが大統領側は空爆で対抗し、中心部は廃墟のような状況になっているらしい。

中部都市ホムスのシンボル時計台の周辺でも市街戦が展開されたらしい。

週に何回も行っていたホムスのスーク(市場)も廃墟と化してしまったのか?

オフィスに掃除のバイトに来ていた子供たちは元気に暮らしているだろうか?

甘いもの好きの私によくおまけをしてくれたアラブ菓子屋のオッサンは商売を続けられているだろうか?

ダマスカスの歩道橋の上で体重計りの小銭稼ぎをしていた子供はどうしているだろうか?
(この写真を撮った時、子供らしく朝ウトウトしていたのを起こしてしまった)
1.ホムス(3)
2011年早春、中東”アラブの春”の動きの中でシリアでも民主化要求デモが始まった。
シリアのアサド政権はこのデモを弾圧し、軍まで投入したため、市民数千人の死者(2012年2月中旬現在)が出ているという。
特にホムス(シリア第3の都市)での対立が激しく、時として街は市街戦さながらのようだ。
ホムスに2年間住み、シリアとその人々に関わった私としては痛恨の極みである。
シリアの体制
アサド大統領
ハマ事件
写真は2006年4月のホムス。
(以下の写真も2005〜2007年のホムス)
私のシリア人友人の多くは政権側のアラウィ派で公務員なものだから、メールでの便りでは、「外国に扇動された反体制派が暴れている。外国メディアも不公平な報道をしている」、と大憤慨している。(扇動する外国とは、サウジ、カタール、トルコ等周辺スンニー派国と欧米のことらしい)
生活は混乱し、街を離れる人々も多いらしい。
首都ダマスカス、地中海港湾都市ラタキア、南部の街ダラア等々でも対立が激しいらしい。
観光客は激減し、停電は頻発し、経済は大混乱のようだ。
シリアは国として保つのだろうか?
仮にアサド政権が崩壊しても、イスラムの宗派対立が先鋭化し周辺国を巻き込んで、一層の混乱を引き起こしそうである。
サダム政権崩壊後のイラク、ムバラク政権崩壊後のエジプト、他にもリビア、アフガンの混乱を見るにつけ中東では独裁政権は現状必要悪の要素があるようにも思われるのだが・・・。
民主化要求は欧米に支持され、ここまで来たら後戻りはしないだろうし、一体シリアはどうなるのだろう?
・・・「インシャアッラー」(神のみぞ知る)だな。
先の国連安保理でのシリア制裁決議は親アサドのロシアと中国の拒否権発動で流れた。
アサド政権はレバノンのヒズボラやパレスチナのハマスに大きな影響力を持っている。アサド政権の崩壊は、実はイスラエルさえ望んでいないのだという。つまり、アサド政権がある部分でイスラム過激派の重石になっているらしい。(NHKニュース解説)
シリア情勢には各国の複雑な思惑が交錯している。

花咲き乱れる春のホムス。

人のいい人々はどうしているのだろう。
ホムスのプロサッカーチームがホームで勝利したので、大喜びでパレードしながら帰宅する観客。
先ごろ(2012年2月5日)サッカーのロンドン五輪アジア予選の日本VSシリア戦が、混乱のシリアを避け隣国ヨルダンのアンマンで行われた。残念ながら日本が敗れてしまったが。
その時、ヨルダン在住シリア人の反体制派はスタジアムで日本を応援したのだという。
シリア国内の対立の深さを物語っている。
<お知らせ(3)>
2012年初頭、当ホームページ収載の大型写真を外出しすることにより、無料容量一杯だった当ホムページに空きスペースを作りました。
このスペースを使って、CDにあったシリアの古い写真と最近情勢コメントを久し振りにアップした次第です。
掲示板も復活させました。