中東写真情報

記載が新しいものほど上になり、撮影時期・場所は順不同です。

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8.コーラン(2)
コーランの飲酒・豚肉食の禁止は日本人にも周知であるが、利子、賭け事も禁じている。(第2章275節、第5章90節)
当時、高利貸し(ユダヤ人)が暴利を貪っていたことが背景にあるようだ。
従って現在、銀行預金は利子とは言わず、事業収益分配金と言う。銀行貸出金利は事業徴収金か?
喫煙は禁止されてはいない。喫煙習慣はコロンブスがアメリカ大陸から持ち帰ったもので、ムハンマドの時代にはなかった。その当時あれば当然禁止された気がする。

コーランの刑罰で特徴的なことは、ハンムラビ法典の流れを受け(?)、同害報復刑(目には目を・・・)が基本であること。(第16章126節)
このためか凶悪犯罪は極めて少ない。対イスラエル・欧米テロやイラク宗派間テロはあるが・・・。
ムスリム女性への性犯罪は、石打ちの刑で半殺しの目に合うらしくゼロに等しい。しかし異教徒女性への場合はそれ程重刑ではないらしいので、異教徒女性は注意が必要。

コーランでは、多神教徒は地獄へ落ちることが暗示され、「(ある時期)多神教徒を見つけたら殺せ」とまで書いてある。(第9章5節)
それでは、神道の八百万神(やおよろずのかみ)を敬い、時々は神社参りをしている私はどうなるのか?
アッラー様、あまりにも殺生でっせ!(←関西育ちのため)

写真はヨルダン アンマンのブルーモスク。








コーランは、一夫多妻(4人まで)を認めている。(第4章3節)
この制度は、戦争未亡人対策と言われている。ただし、現妻の同意と経済力が必要。
制度に釣られて、ムスリムになるのは簡単だが、ムスリムを止めると死刑。
まあ、公に「止めた」と言わなければいいのではないか。

コーランは他にも、天国の記述等、男主体である。
天国では、「見目麗しい複数の処女妻が待つ」とあるが、では女の場合は、誰が待つのか、の記述はない。

コーランには、ムハンマドが生前ある夜、メッカからエルサレムへと空を飛んだ事が書いてある。(第17章1節)
この事をアラブの友人に、「ムハンマドは夢でも見たのだろう」と感想を言ったら、「奇跡があったんだ!」、と本気の反撃に合った。
聖書でも、ノア達は方舟で大洪水から唯一生き残り、モーゼ達は突然紅海の水が割れてエジプトから脱出し、キリストは処女懐胎で生まれ十字架で死んだ後復活して昇天した、等々、奇跡があったのだから、人が空を飛ぶ奇跡があってもしかり。
宗教にはオカルトはつきもの?
しかし宗教の感想論はタブーである。特に中東では。

写真はヨルダン アカバのモスク。







7.ラマダン
今年は9月2日頃からラマダンが始まる。
ラマダンの1ヶ月間、ムスリムは日の出から日没まで、一切の飲食物はもとより、性行為も絶たないといけない。
しかし、その分、夜は楽しむようだ。コーランにも、「明け方まで飲み食い、性行為を行え(妻と)」、と書いてある。(第2章187節)
ラマダン期間中の夕食はイフタールと呼ばれ豪華である。親族や友人が集まって食べる。
従ってムスリムはラマダン期間中かえって太る傾向がある。

私もかつて1日ラマダンと1週間ラマダンを自主実施した。慣れない内は水が飲めないのはつらいが、1週間やるとかなり達成感が得られる。
今年もささやかながら1週間に挑戦予定。

ラマダンはヒジュラ歴(=イスラム暦=純粋太陰暦=1年は354日又は355日)に従うため、毎年11日か10日早まる。
夏のラマダンは大変である。仕事はペースダウンせざるをえない。
ラマダンには貧者を思いやる目的もあり、それは素晴らしいことではあるが、GDPの観点からは明らかにマイナスだ。

写真はシリア ホムスのモスク。









ラマダン中は特に、コーランを読むことが推奨される。
長距離バス会社から部分小冊子が無償配布されたりする。




















6.ラタキア

ラタキアはシリア最大の港町で、地中海の最東端に位置する。
写真は輸入された大理石。
1個平均約40トン、500万円と言われている。




















ラタキア駅前に展示されている蒸気機関車。






















強い陽光の地中海気候にはハイビスカスがよく似あう。






















ラタキアの北約40kmはトルコ国境となるが、その国境の町カサブはアレッポ同様、石鹸作りで有名。
カサブ石鹸はオリーブ油とローレル油から作られる。
アレッポ石鹸より高級とされ、個包装により付加価値を高めている。


















5.風刺画事件
デンマークの新聞に載ったムハンマドの風刺画が原因となったイスラム各国での抗議行動は、今から2〜3年前の出来事だった。
「表現の自由」と「宗教の尊厳」が真っ向から対立し、お互いに譲らなかった意味の深い事件だった。
当時、ダマスカスではデンマーク大使館焼打ち事件へと発展し、イスラム諸国でも最も過激な行動となった。
写真は焼打ち後1か月位のデンマーク大使館。

イスラムは承知のとおり偶像崇拝一切禁止。
アッラー、ムハンマド等の画を描くことも許されない。

でも風刺画でなく称賛画だったらどうだっただろうか? そこは人情として多少抗議の過激さは和らいだかも? →勿論称賛画でも絶対ダメ。













偶像崇拝禁止とは言っても、為政者の銅像はあちこちに建っていたりする。
政府関係のビルには写真が必ず掲げられている。
多分、政教分離ということでいいのだろう。

無知な私は、中東に来たばかりの頃、ムハンマドは予言者(何か予言もする人)と思い、「predictor(予言者)」、と言ってしまった。
アラブ人から不思議な顔をされて、「Prophet(預言者)だ」、と言われた。
神から言葉を”預”かる人、預言者なのである。
漢字だと紛らわしいが、私はそんなことも知らずに中東へ来てしまったのであった。
高校の世界史で当日休んでしまったのか?
しかし現在は、コーラン、まんが聖書物語の独学により、自称”権威”。

写真はラタキアのアサド前大統領像。
ラタキアは彼の出身地。









4.ベドウィン

羊を連れ荒野を行くアラブの遊牧民ベドウィン
ラクダや山羊を連れていたりもする。
荒野の草を求めてイスラエルやイラクにも自由に越境できるらしい。

生活環境は極めて苛酷に見える。
ここには可哀そうなくらい草もない。

















住宅街も横切って行く。





















3.カラート・サマーン

シリア北西部に5世紀に建てられた聖シメオン教会は当時世界最大の教会であった。
その昔、シメオンという修道僧がこの地の柱の上で36年間の修道生活を送ったという謂れが残る。

その後、聖シメオン教会は城塞の機能となり、カラート(城)・サマーン(Qal'aat Sam'aan)と呼ばれる。


















子供は別にして、シリア女性に写真を撮っていいか尋ねると、殆ど断られる。
これは、断られたけど、遺跡を撮ったらたまたま入っていたとの解釈。





















カラート・サマーンからトルコ国境方面を望む。





















2.アイン・ダラー

アイン・ダラー(Ein Darah)はアレッポの北西トルコ国境に近い所にあるBC10世紀のネオ・ヒッタイトの遺跡。
石造りの神殿等が写真のように破壊された姿で残っている。





















破壊を免れた写真の石像は、アイン・ダラーのライオンとして有名。
野晒しだが3000年も前のものとは思えないほど保存状態は良い。



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1.アレッポ

シリア第二の都市アレッポはシリア北部に位置し、古くから東西交通の要地として栄えている。
都市としての古さはダマスカスに匹敵し、世界最古都市の一つで、世界遺産になっている。
アラビア語名はハラブ。

写真はアレッポのシンボル アレッポ城。
十字軍、モンゴル軍、ティムール軍の侵攻に耐え、写真の門は16世紀に造られた。



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アレッポ城内部。






















アレッポ城から北市街を望む。
人口約160万人。





















アレッポの時計台。






















生活力溢れる靴磨きの少年。






















アレッポ考古学博物館の入り口に立つ写真の像はBC9世紀のもの。

シリア中の遺跡の重要出土品は、主にはダマスカスやアレッポの博物館に展示されているが、地区毎にも博物館があり展示されている。



















アレッポの歴史あるスーク(商店街)。
地元の人たちや観光客で賑わっている。





















アレッポと言えば、純良な「アレッポ石鹸」は日本でも知る人ぞ知る石鹸。
シリアはオリーブの原産地として知られ、オリーブ油を原料に昔から石鹸が作られている。

写真は石鹸工場の熟成保管庫。
乾燥していて冬は寒い気候が石鹸作りに最適とのこと。



















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