中東写真情報

記載が新しいものほど上になり、撮影時期・場所は順不同です。

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8.ワディ・ムジブ

大峡谷ワディ・ムジブ(Wadi Mujib)はマダバとカラクの中間にある。
展望台からはグランドキャニオンのような(チョットオーバーか?)雄大な景色が見られる。
マダバカラクタフィーラペトラを結ぶ高原道路はキングス・ハイウェイ(王の道)と呼ばれ、その昔モーゼも通った道とのこと。

上流にはダム湖も見える。
ここを通る車はダムまで下りて行きその上を通る。

















ダムから下流方面を望む。
水が僅かに流れていて死海に注ぐ。




















7.ウンム・アル・ラサース

ローマ時代からイスラム王朝にかけて栄えた城塞都市(遺跡)ウンム・アル・ラサース(Umm Ar-Rasas)はマダバの南東30kmにある。
2004年には世界遺産に登録された。
写真の立派なビジターセンターが建てられているが、2009年5月訪問した時は内部の博物館はもとよりトイレもオープンしていなかった。




















最大の見所は床に描かれたいくつかの巨大モザイク画。


























当時の人々の生活環境が描かれている。






















ウンム・アル・ラサースは大昔地震で崩壊してしまい、現在修復が行われている。





















6.カラク城
十字軍の影響を残す天下の名城カラク城(Qasr Karak)。

旧約聖書にも登場するというカラク(アンマンの南約130km)は戦略上重要な都市として古くから繁栄していた。
死海南東部の台地に位置するこの辺りはかつてモアブと呼ばれ、カラクはその中心だった。

1136年十字軍によりカラクに大要塞が建設され、十字軍によって1099年作られたエルサレム王国を守った。
しかしカラク城は1187年サラディーンにより攻略されエルサレムとともにイスラム軍の手に落ちた。

















従ってカラクの街の中心にはイスラムの英雄サラディーンの銅像が鎮座する。






















カラク城内の考古博物館には、ロト一家の伝説に因んだ遺跡から出土した資料等も展示されている。
死海南部にはイスラエルも含めロトの妻の塩柱と言われる石も何カ所かあるらしい。



















5.ソドムとゴモラ
旧約聖書に登場する悪徳の町ソドムとゴモラは死海南部にあったらしい。
アブラハムの甥ロト一家が登場する話だから今から4千年程前のこと。
その頃両町では道徳が乱れ男色も横行していたという。
遂には神の怒りを買い両町は業火で滅ぼされてしまう。

ロト一家が神から促されソドムから逃げる時、妻は「絶対振り向くな」とのお告げに背き、塩の柱にされてしまった。
残ったのは娘二人とロト。男がいなくなったので、親子は交わって子孫を残したという。←男色よりアカンわ。

ソドムとゴモラがあった場所は死海南部の湖底に没したとの説がある。
今の死海南部は写真のように干上って肥料用カリ塩の採掘が盛ん。

聖書にはソドムとゴモラのようなおどろおどろしい話も多い。
砂漠の宗教、アブラハムの宗教と言われる一神教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教は過酷な自然の中で生まれた。
死海辺りに来てみるとその過酷さがよく分かる。










ロト親子が逃れた場所というのが今のサーフィ(ヨルダン、死海南部)という町で、今では地下水灌漑による野菜作りが盛んである。

私は来週末、死海の南東部にある峡谷ワディ・ハサで峡谷下りの探検をすることになっている。
ワディ・ハサ川はサーフィに流れ下っていて、そこにはロト親子が業火から身を守ったという伝説の洞窟があるという。


















4.死海展望台

死海の東岸にある死海展望台(Dead Sea Panorama)からの景色はすばらしい。
死海に関する博物館、レストランが併設されている。

これらは、周辺道路(12km)とともに、総額約72億円の日本政府からヨルダン政府への円借款(金利2.2%)により建設されたという。完成2006年5月。

対岸はイスラエル。

















展望台直下に死海が広がる。
展望台は標高600mの高台にあるから、死海(標高マイナス425m位)とは1,000m以上の標高差がある。




















3.ネボ山
モーゼ終焉の地と言われるるネボ山。
マダバの西10kmにあり、山頂からパレスチナの街々が遠望できる。
写真も山頂からパレスチナ(イスラエル)方面を撮ったもの。
この時は霞がかかっていてエルサレム(西約50km)は見えなかった。

モーゼ(BC13世紀)はイスラエルの民を連れてエジプトを脱出し、シナイ半島を40年間放浪し、神から十戒を授かり、最後はここから乳と蜜のあふれる約束の地カナン(パレスチナ)を眺めた。


















モーゼを記念した教会が4世紀に建てられその遺構が現在も残る。






















ビザンチン時代のモザイク画。





















2.マダバ

マダバはアンマンの南西30kmにあり、ビザンチン時代に建てられたという多くの教会がある。
写真は聖ジョージ教会。
現在の建物は余りにも端正だからその後の修復等によるものであろう。
内部にはモザイクで描かれた6世紀のパレスチナの地図が残っている。



















これはラテン修道院。
2000年に前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が訪れたという。
























1.ジェラシュ

ヨルダン北部、シリアとの国境近くにあるジェラシュ遺跡。
ローマ帝国支配都市として1世紀頃つくられ、後もビサンチン帝国の支配下に栄えた。
写真は凱旋門。

建物の多くは8世紀の大地震で崩壊したが、1925年に修復作業が開始され、今でも続いている。


















写真はフォーラムと呼ばれる広場で、マーケットか儀式に使用されていたらしい。






















ローマ時代都市遺跡の特徴である列柱通り、円形劇場、浴場が何カ所もある巨大遺跡である。























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