中東写真情報

記載が新しいものほど上になり、撮影時期・場所は順不同です。

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8.ミラノ
ダマスカスから東京へはミラノ経由も便利。
トランジットついでにミラノ見物ができる。
写真は世界遺産のサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会。
ここには有名なレオナルド・ダ・ビンチの壁画「最後の晩餐」がある。
聖書ストーリーを一応理解した後の「最後の晩餐」は感慨深いものがある。

壁画を見るには、何日も前から予約が必要だが、冬の閑散期であればキャンセル待ちですぐ見れる。
25人づつ15分で見る。
内部の写真撮影は禁止なので壁画の絵葉書でも買うしかない。














教会の中庭。






















ミラノの象徴ドゥオモ(大聖堂)。
世界最大のゴシック建築。
2006年1月ここも修復中だった。




















ドゥオモ側面。







































ミラノ駅。






















ミラノ空港から約100km北西にはモンテローザが見える。





















7.マアルーラ

ダマスカスの北東50kmの標高1,700mの山中の岩山にキリスト教会や修道院がある。
イエス・キリストが話していたというアラム語を今も話す人々がいて、観光資源となっている。





















マアルーラの町の奥にには高原が広がり、夏は避暑地となる。





















6.峠道

荒野(砂漠)を行き、峠を越える時はハッとするような絶景が見られる。
まあ、こんな不毛の景色を”絶景”と言うには異論はあろうが・・・。
でも日光のいろは坂だって乾燥すればこうなるのだろう。




















シリア砂漠は写真のように砂ではなく土の荒野。
中央に見えるのはつむじ風。高さは100m程か。
夏の灼熱砂漠ではあちこちに発生する。
でも大気は安定しているので竜巻は決して起こらない。


















5.マアムーサ

ダマスカスホムスの中間の山岳地帯にあるマアムーサ修道院(Deir Marmusal Habashi)。
写真中央の空との境の谷になった所に見える。右下は入口。
AD7世紀始めアビシニア(エチオピア)の王子がキリスト教修道士となるため、この地まで来て建てた。
1556年には初めての修復が施された。
1982年パウロ・ダロリオというイタリア人修道士が来て生涯をかけて修復中で、修道院として使われている。

木もろくに生えないような荒野の山奥に修道の場として建てられたことがよく分かる。














マアムーサ修道院からの眺め。


























内部には国宝級?と思われるようなフレスコ壁画が残されている。
壁画の顔が剥がされているのは偶像崇拝を嫌うムスリムの仕業、とのこと。

マアムーサはガイドブック「地球の歩き方」には載っていない。
場所は民家さえないバスも通っていない山の奥の奥。





















4.アリババ

アリババはご存じアラビアンナイト千夜一夜物語に出てくる盗賊であるが、写真の近所(ヨルダンアカバ)の子供たちは私のことを「アリババ」と呼ぶ。
何事も良心的に解釈する私は、アリババは義賊だから敬称かとも思ったが、東洋人(中国・韓国・日本人等)に対する蔑称らしい。
私は笑って「アリババアラビー、イントゥーアリババ!」(アリババはアラブ人だからお前たちがアリババだろう!)と言って聞かせても止めない。

子供は正直だから、異質な者(異民族)に興味を示すものの、蔑視をあらわにすることがある。
私が子供の頃もそうだったような気がする。















他にも東洋人に対する蔑称として「チンチョンチャン」がある。これは中国語の響きがあり東洋人への蔑称とすぐ分かる。
アラブ人には日本人・中国人・韓国人の区別はつかない。
アラブ人の間でも使われる蔑称に「シャルムータ」というのがある。これこそアラブ世界では史上最低最悪の蔑称で、売春婦を意味し、性道徳に厳格なムスリムには”地獄行き確定”を意味するらしい。男にも使われる。滅多なことでは使われないが、これで呼んだら間違いなく即喧嘩になる。

写真は荒野にも拘わらず時間がくるとメッカに向かってお祈りを始めるムスリム。
日に5回のお祈りがムスリムの勤め。















3.パルミラ

シリアが誇る世界遺産パルミラ。
BC1〜AD3世紀にシルクロードのオアシス都市として栄華を極めた。
ローマ帝国の属州だったが、パルミラの女王ゼノビアがローマに刃向かい272年ローマのアウレリアヌス帝に滅ぼされた。

メソポタミア時代から地中海、アラビア半島、メソポタミアを結ぶ交通の要衡として栄えていた。



拡大写真












シリア人は人がいいとはいっても、世界的観光地パルミラのラクダ引きなどは別。
日本人と見ると、「ラクダはラクダ(楽だ)」とのキャッチフレーズで誘ってくる。断ると、「ラクダに乗った写真を撮ってやる、タダでいい」と言い、乗ると、「景色のいい所で」と移動し、観光ガイドを始めてしまう。
降りてチップくらいで済まそうとすると、法外な金額を吹っ掛けてくる。
私も$100を吹っ掛けられ、「タダと言ったやろ!」と言うと、「タダは写真だけだ!」と言われ、大喧嘩(勿論口喧嘩ではあるが)になった。
駆け付けたラクダ引きの仲間に囲まれ、口々に「$100だ!」と言われた。結局妥協して$25も払った。
観光局へラクダ引きに関する苦情が多かったものと思われ、次に行った時は、ラクダの首から「30分$8」と可愛らしく表示させられていた。
















列柱通り。






















パルミラ遺跡からアラブ城。
アラブ城は十字軍に対抗するためイスラム軍が造った。





















アラブ城から見たパルミラ。
シリア砂漠の真っ只中のオアシスであることがよく分かる。

付近には墓の谷と呼ばれる地区があり、昔の塔墓や地下墓が公開されている。


















2.カラート・シャマーミス

ハマの南東約20kmにあるカラート・シャマーミス(Qalaat Ash Shmamis)遺跡。
ガイドブックには載っていない、説明看板もない。地図に載っているだけ。
従って時代等一切分からず。

緑の畑に囲まれた白い丘の上の円形のファンタジックな城。
城の周りには空堀が廻らされていた。
春真盛りののどかな日(2007年3月末)に行ったので、まるでお伽の国に迷い込んだような感じだった。



拡大写真












遠景。






















石灰岩層の上に玄武岩層、その上にレンガで城が築かれている。






















城から周りの畑地を見下ろす。






















カラート・シャマーミスの最寄り町サラミーエ(Assalamyeh)。
ローカル色がプンプン。
昭和30年代(50年位前)の日本にタイムスリップしたような感じ。

町の鍛冶屋が作ったと思われるバイクの中古エンジンを利用した三輪車が何台も走っていた。

















1.中東柔道大会

2006年4月ダマスカスで開催された中東柔道大会を観戦した。
日本、韓国の男子選手も招待され出場していた。
中東の選手は力はあるが技はイマイチで、大半の階級で日本選手が優勝した。




















私も柔道経験者(3段)として興味深かった。
女子は中東特別ルールとしてヒジャーブ(イスラムのスカーフ)の着用が認められていた。
柔道をするのにもヒジャーブを被るというイスラムへの帰依の深さと、ヒジャーブを被ってまで柔道をするという柔道への熱心さに感心した。



















観客はまばらだが、






















こちら側の関係者席には大勢いる。























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