記載が新しいものほど上になり、撮影時期・場所は順不同です。
7.パレスチナ難民キャンプ
ヨルダン北部ジェラシュ近くのスーフにあるパレスチナ難民キャンプ。
キャンプといってもパレスチナ難民は永住しているので家々はブロックや石でできている。
ヨルダン人口630万人の60〜70%がパレスチナ難民と言われている。
<ヨルダンの体制>
立憲君主国。
正式名称はヨルダン・ハシミテ王国で「ハーシム家の王国ヨルダン」を意味する。
ハーシム家は預言者ムハンマドの出た家系。
現国王アブダッラー二世(元首)はムハンマドから数えて43(資料によっては34?)代目に当たる。
ムハンマドと最初の妻ハディージャとの娘ファーティマはアリ(ムハンマドのいとこ、第四代カリフ)と結婚しムハンマドの家系を残した。
1946年イギリスの委任統治から独立した。二院制議会を持つ。
ヨルダンは1948年第一次中東戦争においてウエストバンク(ヨルダン川西岸地区)を占領したが、1967年第三次中東戦争でイスラエルに占領され領有権を放棄した。ウエストバンクは現在パレスチナ自治区となっている。
パレスチナ難民の学校と子供たち。
スーフキャンプの一画にはエルサレムにあるイスラム教のシンボル 岩のドームのミニチュアがあった。
キャンプの子供たち。
アラブ人は子沢山、5〜6人は当り前。
パレスチナ難民は教育熱心な親が多いため、英語を話す子供も多い。
ご馳走になったアラブディナー。
女性が料理するが、客人に出すのは男の子の役目。
男の客人との食事の席には家族の女性は同席しない。
6.死海ロード
死海バレーのアカバ⇔死海を南北に結ぶ死海ロード。
写真のように「ラクダに注意」の標識がある。
砂漠・荒野の真ん中を走っている。
最高点は海抜約200m。
死海湖岸の道は綺麗な湖面が見えて気持ちいい。
対岸はイスラエル。
死海湖岸は海抜マイナス地帯を走る。(気圧換算高度計がマイナス355mを指している)
5.婚約式
ヨルダンでは婚約式が行われる。
両家の親族、友人が男性・女性別々に集まって婚約の確認をする。
写真は男だけの式で、中央 スーツ姿で座っているのが花婿予定者。
この場に花嫁予定者は出て来ない。
両家の代表者がスピーチをし、茶菓が振舞われる。
ヨルダンのムスリムはスンニ派が殆ど。
シリアのアラウイ派の結婚式とは雰囲気が全く異なる。
近所の公民館で行われる。
公民館全景。(アカバ)
アカバ港桟橋から向こうの岸壁まで約400mを泳ぐのがいい運動になる。
途中サンゴ礁もあるし魚も多い。
伝統のパレスチナ織りの実演。
珍しいスコール。
雨は年に2〜3回。
直ぐ止む。
何年かに一度は大雨もあるらしい。
鉄砲水の痕跡もある。
チキン丸焼き。
一匹約500円。
十六夜の月が西のエイラート(イスラエル)に沈む。
ヨルダン空軍のアクロバット飛行。
プロペラ機で時々訓練している。
国王アブダッラー二世もパイロット免許を持っているとか。
3.ヌエバア
アカバから高速船とフェリーが出ているシナイ半島東岸の街ヌエバア(エジプト)。
ダハブ北方に位置し、やはりサンゴ礁の広がる紅海アカバ湾のダイビングを中心にした観光開発が進められている。
アカバ⇔ヌエバア間の高速船。
後方(向こう側)はアラビア半島サウジアラビア。こちら側がシナイ半島。
海浜砂丘。
観光客を待つタクシードライバー達。
2.聖カトリーナ修道院(2)
旧約聖書に出てくる、モーゼが見たという燃えて尽きなかった柴。
教会堂。
礼拝堂。
ここでモーゼの前に神が現れたらしい。
1.聖カトリーナ修道院
シナイ山登山口にある聖カトリーナ修道院。(世界遺産、エジプト)
4〜6世紀に建てられた。(標高1,800m辺り)
ベドウインからの防御のため高い城壁が巡らされている。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の謂れがあり其々の聖地になっている。
正面の岩山。
日本人にとっては異形の山々が連なる。