中東写真情報

記載が新しいものほど上になり、撮影時期・場所は順不同です。

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8.コシャリ
エジプトのファーストフード コシャリ。
ご飯とパスタの上にスパイスの利いた玉葱入りトマトソースがかけてある。結構いける。
隣はエジプトのビール ステラ。うまい。コシャリはビールとよく合う。

私は大のビール党でビールを発明した人を尊敬しているのだが、メソポタミアのシュメール人らしい。
その後古代エジプトに伝わりピラミッド建設時代には一般に飲まれていたという。
エジプトは起源国の一翼ではあるものの、ステラはもはや外国技術(ハイネケン)で造られている。

















こちらはマクドナルドのアラブ圏限定?「マックアラビア」。シュワルマに似ている。美味しい。





















7.メムノンの巨像

2体のアメンホテプ3世(BC14C)坐像。
高さ18m。





















元は葬祭殿もあったが、後の王達が石材として持ち去ったという。
石を組んで造ったように見えるが、大昔に地震で割れた痕らしい。





































6.王家の谷
王家の谷入口。
内部はカメラ持込み禁止。
60を超える地下墓群があり、極彩色が施されたレリーフや壁画が残っている。

同様に近くにある王妃の谷(地下墓群)もカメラはダメ。
王妃の谷への入場料の他に、保存状態がよい墓は別途高額入場料を科しているところもある。
ツアーガイド曰く「入るのは日本人団体客ばかり」。
すると同行欧米人達が私の方を向いて「払ってくれないのか?」と言った。
私は「何でやねん!」と日本語で呟いた。















ハワード・カーターの家(写真)、と言ってもそれ誰?
ツタンカーメン王(BC14C)の墓を発見・発掘したイギリス人とか。
ツタンカーメン王は18歳で早世したので権力も小さく墓も目立たなかった。このため王家の谷にあっても盗掘を免れ、1922年副葬品が残っての発見になったのだとか。
黄金のマスクをはじめ副葬品の一部はカイロのエジプト考古学博物館のツタンカーメンの部屋に展示されている。



















ツアーの場合必ず土産物屋へ連れて行かれる。





















5.ハトシェプスト女王
エジプト唯一の女性ファラオ ハトシェプスト(BC15C)の葬祭殿。
旧約聖書「出エジプト記」でモーゼが赤ん坊の頃、ナイル川で彼を拾って育てたファラオの娘がハトシェプストだとの説がある。
ファラオ トトメス1世正妻の娘ハトシェプストは父の妾腹の子トトメス2世と結婚するが夫が早死にし、夫の妾腹の幼子トトメス3世がファラオになるまでファラオとなった。
トトメス3世は父トトメス2世とハトシェプストとの間にできた異母妹と結婚するが、ファラオになるとハトシェプスト葬祭殿のハトシェプストの壁画や事績を末梢したという。継母に対する恨みがあったのか?
当時近親婚は当り前だったみたいだ。
ハトシェプストは交易に注力したが、トトメス3世は遠征を繰り返しエジプト領土を最大にした。

エジプト古代史解明は、1822年シャンポリオンがロゼッタ・ストーンのヒエログリフ(エジプト象形文字)を解読したことにより飛躍的に進んだ。
















ハトシェプスト女王葬祭殿はとにかく巨大。



<ルクソール事件>
1997年11月ルクソール事件はこの葬祭殿で起きた。
イスラム原理主義集団の6名が銃と短剣で観光客を襲い63名(内日本人10名)を死亡させた。
犯人は全員射殺された。















前面のナイル川平地には緑の畑が一面に続く。






















彩色壁画も残るが、この遺跡の約80%はレストア(修復)とのこと。





















4.カルナック神殿

歴代のエジプト王(ファラオ)が建造物を寄進した巨大神殿。
本来ルクソール神殿とは参道(約3km)でつながっていたという。






































これもスフィンクス参道。






















とりわけ巨大な列柱群。







































巨大石造物が多過ぎて、ガイドを雇うか地図・解説を見ながら回るかしないと、何が何だか分からなくなる。





















3.ルクソール神殿

かつては2本あったオベリスク(石柱)の1本は、19世紀オスマン帝国出身エジプト支配者ムハンマド・アリーがフランスに寄贈し、パリのコンコルド広場に立っている。






















ラメセス2世(BC14〜13C)坐像。

彼は長寿で妻妾何十人、子供約100人いたとか。
ファラオ在位が長く自己顕示欲が強く、あちこちに自らの巨大石像やレリーフを残している。
BC1285頃シリアに遠征し、カデシュ(ホムスの南西)でヒッタイト(現在のトルコ地帯支配)軍と戦い、世界最古の講和条約を締結。
モーゼ「出エジプト記」紅海渡渉時のファラオに該当すると言われている。当時イスラエルの民はエジプトで奴隷同然に扱われていた。
エジプト考古学博物館に本人のミイラも残っている。
今でもエジプト国民の絶大な崇敬の念を集めているらしい。
































夕映えのルクソール神殿。






















ライトアップされた参道のスフィンクス。





















2.ルクソール

ルクソール東岸からナイル川。
ルクソールはカイロから鉄道で670km南。
ナイル東岸にルクソール神殿、カルナック神殿等があり、西岸には王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿等がある。

現地のツアーガイドによるとルクソールでは「ここ数年雨は全く降ってない」とか。
エジプトはナイル川がなければ全くの砂漠の国なんだ。

















ルクソールは大観光地だから、馬車もタクシーもバスも走っていて便利。
しかし馬車やタクシーの料金は交渉で、必ず吹っかけてくる。
ガイドブックによると、馬車は約100円から無限大とか。
”無限大”って・・・、カンベンしてヨ。


















1.カイロ(2)

2009年10月エジプト再々訪。
写真はカイロ空港の新オブジェ。



エジプト経済はスエズ運河と観光への依存度が高いという。

















カイロは相変わらず喧噪がすごい。
観光客がのんびり散歩できるような街ではない。





















相変わらずオンボロタクシーが多い。
このタクシーも現役。
料金メーターはあっても動かない。方向指示器さえも動かないのではないか?
たとえメーターが動いても外国人だと料金は交渉になる。



















それでも運ちゃんは至って陽気。
しかし交渉はしたたか。
事前交渉で値切り勝ちしたと思っても、後で必ず相応のチップ(バクシーシ)を要求される。




















カイロのお母さんは器用に子供を肩に乗せて歩く。























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