中東写真情報

記載が新しいものほど上になり、撮影時期・場所は順不同です。

トップページへ戻る

8.秘密警察
私がシリアに来て3日目の休日、ダマスカスの景色が珍しいので綺麗な所で写真を撮っていた。
すると黒スーツの若者が寄ってきてシャッターを押すジェスチャーをした。私は、「写真を撮ってやるよ」の意に解して、「ノーサンキュー」と言ったが、男はしつこいので「チンピラか?」と思って立ち去ろうとした。
すると男はスーツをまくって、肩から下がっている自動小銃を見せた。アラビア語で何か言うが、私は何のことか分からないまま、「来たばかりなのに逮捕かいナ?」と絶句した。
普通っぽいオフィスに連れて行かれて、上司らしい英語の分かる男から、「アメリカ大使館の周りで写真を撮ってはいけない」と言われた。デジカメ写真は消去させられ、解放された。秘密警察(公安警察=政治警察)との遭遇だった。



写真はダマスカスのマルジェ広場。
その昔、ここでは公開処刑が行われていたという。













写真はダマスカスのカシオン山中から南西を望む。遠方雪山(ヘルモン山)の左がゴラン高原方面。
ここでも来たばかりの頃写真を撮っていると、今度は自動小銃を持った軍人が突然松林の中から現われて「写真は撮るな!」とのこと。
誰もいない、と思っていたのに驚いたナー。
カシオン山の頂上はレーダー基地になっていて、近くからカメラを向けてはいけないらしい。中腹に兵舎もあって監視がいたのだった。

「ここは中東、日本的感覚でいてはアカンな」、と心底思った。














7.農家の男達

シリアの農家の男達。
一見強面だがよく見ると人懐っこい顔(?)をしている。気立てはすこぶるよい。
頭に巻いている赤いチェックのスカーフはカフィーヤと呼ばれる日光除け。それでも日差しが強烈なので顔は真っ黒。
カフィーヤは寒い時は襟巻きにもなる。

シリアは農業国で農産物は豊富。特に果物や野菜は安くて美味しい。














農家によって製糖工場に次々と搬入される甜菜(テンサイ:砂糖大根)。
甜菜の搾りかすは飼料になる。
(シリア ホムス



















6.デーツ

デーツはナツメヤシの実で干し柿のような味がする。
中東では好んで食べられ、ベドウィンの保存食にもなる大切な食料である。
カロリーが高いので、特にラマダンの時に重宝されるようだ。
写真に写っているのは全てデーツ。ラマダン時店先に並んだもの。(シリア ホムス



















ナツメヤシの街路樹にデーツが生ったもの。(8月 アカバ)
野鳥防止?にネットがかけられている。
雌雄異株。
























ヨルダン死海バレーの収穫後のナツメヤシ畑。
中東ではBC6000年頃から栽培されていたらしい。




















5.アカバ(2)

ヨルダン アカバの25km南はサウジアラビア国境となる。
国境の手前の紅海アカバ湾は海が格別きれいでサンゴ礁が続き、世界的ダイビングスポットになっている。
写真はJapanese Gardenと呼ばれるスポット。
冬でも暖かいので泳げる。


















2009年1月2日、泳ごうかなと思って桟橋(上の写真の場所)にいると、ヨルダン軍のヘリが海面すれすれの超低空で飛んで来た。
まさかと思ったが、わざと我々にぶつかるようにして桟橋の上を轟音とともに通り過ぎて行った。
イスラエルのガザ進攻もあり、警戒飛行でもしていたのだろうか?
ヘリの左側はシナイ半島イスラエル領、右側はアラビア半島ヨルダン領。


















風が強い日もある。






















アカバの山の手からアカバ湾の絶景。
紺碧の海と禿山のコントラストが素晴らしい。
対岸はシナイ半島で写真の左側がエジプト領、右側がイスラエル領。




















海からのアカバ。



拡大写真

















4.ペトラ(2)

昨年(2008)末、日本から友人が遊びにきたのでヨルダンを案内した。
12月31日、定番のペトラへ行った。(私は3回目)
山頂のエド・ディル(修道院跡)まで足を伸ばした。(写真)




















するとスパイダーマンみたいな男が現われて、裏の岩山から左の屋根に飛び移り、屋根を二つジャンプで越えた後、見る見る内に頂上の壺を登っていった。(写真:望遠)






















最後は頂上に立って見せた。
居合わせた観光客から大喝采を浴びた。



ペトラには更に奥山の山頂に、モーゼの兄アロンの墓がある。
そこへ行くにはガイドが必要で6時間もかかるとのこと。















3.鉄道の旅

シリアの旅はバスが便利だが鉄道の旅も面白い。
主要な街を結ぶ列車(ディーゼル)が走っている。
写真はラタキア駅にてアレッポ行きの普通列車。




















車窓に広がる穀倉地帯。
シリア北部のラタキア(地中海岸)⇔アレッポ(内陸)は山越えの緑の多い景色が続く。





















風格漂うアレッポ駅。





















2.ヒジャーズ鉄道
オスマン帝国(トルコ)がドイツの協力を得て1908年に建設したヒジャーズ鉄道は、ダマスカスとメディナ(サウジアラビア)を結んでいる。メッカへの巡礼者を運ぶのが主目的だった。写真はダマスカス駅だが、現在は使われていない。
映画「アラビアのロレンス」では、第一次大戦時、英国人ロレンスがアラブゲリラを指導し、アラブでのオスマン帝国の支配に抵抗し、ヒジャーズ鉄道(Hijaz Railway)の破壊工作をしたことが出てくる。
第一次大戦では、英国は中東民族を取り込むため、戦後のアラブ独立を約束したフサイン=マクマホン書簡を結び、一方ユダヤ民族国家建設を約束したバルフォア宣言も行った。この矛盾が現在のアラブとユダヤ(イスラエル)との対立の元となっている。

<イスラエル一口史>
有史以来今のイスラエル(パレスチナ)の地は諸民族侵入争奪の地だった。旧約聖書では神がアブラハムに「カナン(パレスチナ)へ行け」(乳と蜜の流れる約束の地)としたので、彼は一族を連れてメソポタミアから移り住んだ。その時には既に先住民(カナン人=フェニキア人orペリシテ人)が住んでいた。
アブラハムの子孫(ユダヤ人)は干ばつ等でエジプトへ逃れたが奴隷同然に扱われ、モーゼに率いられて出エジプトしシナイ半島を彷徨った。モーゼの死後、カナンにいたペリシテ人を制してイスラエル王国を樹立した。
しかしアッシリアやバビロニアに滅ぼされ、バビロンに捕囚された。ペルシャによるバビロニア滅亡後は解放されたが異郷に離散した(ディアスポラ)。一部はローマ帝国の後ろ盾でエルサレムを奪還したが、結局ローマ帝国に滅ぼされた。
その後ビザンティンの支配、イスラムの勃興・支配、オスマン帝国の支配と続き、第一次大戦後イギリスに委任統治された。そして1948年、主にはパレスチナ人(=アラブ人)が住む地パレスチナにイスラエルが建国され、世界離散していたユダヤ人が戻った。









現在ヨルダンではヒジャーズ鉄道支線のアカバ線が、内陸で産するリン鉱石の運搬、アカバ港からの輸出に活用されている。(写真)
ヨルダンは石油資源はないが、肥料用リン鉱石はほぼ無尽蔵にあるらしい。
同様に、死海南部の塩田からはカリ塩が採れ、肥料用に精製され輸出されている。
ヨルダンの産業は、@リン鉱石、Aカリ、B観光、がトップ3を占める。

→最近では、アメリカとの自由貿易協定により、繊維製品の対アメリカ輸出が急増し、輸出額のトップを占めている、とのこと。














1.ゴルフ

ダマスカス
郊外にシリア唯一のゴルフ場シャムゴルフカントリークラブ(Cham Golf & Country Club)がある。(写真)

近隣諸国に程度のいいゴルフ場が少ないので国外からもプレーに来る。
そのため豪華なホテルが併設されている。
国際会議のついでにゴルフ、ということも多いらしい。
しかし団体客のいない時は週末であっても数組程度しかプレーしていない。
日本と違ってゆっくりゴルフができる。
















周りは砂漠同然なのに池もめぐらされて手入れも行き届いている。
プレー料金は日本並に高い。






















シリアでも日本人会にはゴルフ好きがいるので月例ゴルフ大会を開催している。
”大会”とは言っても参加は精々数組(十数人)程度だが。
私も3回プレーした。内一回はペリア方式のハンデに恵まれて優勝。(*^^)v




















正面遠くの雪山はゴラン高原のヘルモン山。
(2007年1月撮影)



今年もよろしくお願いします。



<Bad News>
パレスチナのガザ地区では昨年末イスラエルによるハマス攻撃(空爆)が始まり、2009年は極めてキナ臭くスタートした。














由緒ある豪華な優勝トロフィー。
駐シリア日本大使のポッケトマネーによる寄付。





















このページの先頭へ


トップページへ戻る